最近の出来事

日記というものを最近書いていなかったので書こうと思う。

私は将来は自分は大物になると思っていた。正直今でも思っている笑 それは大物というのはただ単にマスコミで報道されてこの人はすごいというような安いものでもない。ノーベル賞を取ることは大いに価値があるが、ノーベル賞がすごいとは思わない。ノーベル賞に価する研究がすばらしいのだ。

村上春樹さんの職業としての小説家ではあることを言っている。村上春樹さんは毎回ノーベル文学賞にノミネートされるがなんだかんだ言って受賞しない。また芥川賞にも運悪く受賞はしなかった。だが、村上春樹さんはそれを気にしないで、逆にいらないとまでいっている。あったら邪魔になるとまで。村上春樹は村上春樹なのだと。私もそう思う、ノーベル賞がない年があってもいいし、世間的にレベルが低くなる賞なら、そんなものははなっから間違いだと思う。

小説が大好きな私からすれば船に乗れ!という小説も好きだし入間人間だって好きだ。その小説は別になんらかの賞を受賞していたから買ったわけではなくて面白いから買ったし次巻も買ったのだ。私もそういう本を書いてみたいし、そういう人生にしたいと思う。

幸せというのは客観的じゃない。自分が幸せならばいいのだ。

私は20歳を迎えて8ヶ月くらいたったけれど、大人なんてものは存在しないと思う。当たり前のことに悩んで当たり前のことをこなす。それが大人だと思う。そういう基準で行くと私は寝坊するしドタキャンするし恋人もいないし結婚もしていない。絶対に大人じゃない。第一、一年前は19歳だ。若者の年齢である。それが一歳増えただけで大人になるわけがない。

アルバイトでも失敗したし、それは全部自分が悪いのだけど、そう思いながらブラック企業だったななんて悲観的に思ってしまう。そしてそういう自分が嫌いだし腐ってるとも思う。まあ自分は自分だから愛していかなきゃいけないんだけど。すべてが思い通りにいかないのはあたりまえだけど、人間は思い通りになって欲しいからこそ絶望が存在すると思う。期待と裏切りはそのために悲しいと思う。

私は将来は中高生以外に学問を教えるような、また自らも研究することを忘れないような仕事に就きたいと思う。何年かかるか分からないけれど。。。

昔は教えるのがうまいと思ってたけれどいざ人を目の前にするとかなり緊張するし汗もかく。息切れしそうにもなる。純粋に勉強したり、教えたりすることが好きで子供の子守みたいなことをしたくもないので教職を取るのもやめて自分のために時間を使うことにした。またいずれ中高生と触れ合う機会があるだろうということを期待せずに待っている。

自分が一番うまくいっている時と一番最低な時は仲間がいなくて一人であるらしい。確かに当てはまると思う。周りの意見を聞かずにやってたらそれは一人にもなるし、そういう人はうまくいかないと思う。20年生きてきてなんとなく人とつるむという究極的にだるいことも覚えてきた。

言葉では簡単だけど超絶に難しいし本音では使いたくもない社交辞令もしなきゃいけない、映画の中の天才みたいな真似をして無神経なことを連発できるような年齢でもないし、そういうタイプは成功もしずらいらしい。

といっても成功というのは失敗のゴミの積み重ねにしてなるものだし、それは以前にも別のブログでも書いた。結局はどんな面白いテレビでも人とのつながりによって生まれるものなので、そういうテレビに出たいなら出たいなりのアプローチが必要なわけで、テレビに残るというのはとても労力の使う仕事だと思う。

毎日ゴミの分別をするのもたまには楽しいし、風に吹かれて自転車をこいで道端の自販機でホットココアを買って家であのガキイライラしたな、とか思うことも人間なのだしあたりまえだ。くそイラつくことされたらそれは神でも怒る。

大学に行きながらお金を稼ぐことにも挑戦はしたいけれど、それもまた才能がいるものでどっちもダメになることもあるわけで、今は学問に専念したいと思う。

マイコンとか最近ははまっているし、言語開発も再開したいなとか思っている。アランチューリングの映画を見たからそういうコアな部分も勉強したいと思う。

完全な人生がないように完全な終わりもないのだから

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