朝井リョウさんの”何者”を見て

まずその前に清水亮さんのこの記事を見た。
無駄に意識高かった系学生の末路

宮崎駿さんに怒られた川上さんの話も書いていてなかなか面白い。50歳になって怒られるというのは、なかなか僕には想像できない。20歳を超えてから人に思いっきり怒られるということは無いし、成人を怒るというのなかなかの決意が必要だし、嫌われる勇気も必要だからか怒る人も難しいのかなと思う。

朝井リョウさんという小説家は現実を現実以上にエモく描く天才で、直木賞を受賞したときなので2012年くらいの作品。
朝井さんは直木賞を二度目にして受賞していて、一度目の作品「もう一度生まれる」ではなかなかしょっぱい批評を貰っていた。きっと朝井さんは周りに意識高い系の友人が沢山いて自分は意識高い系にはなりたくないと思っていたのではないかなと思う。

僕も意識高いだけにはなりたくないけど、僕を鳥瞰する”何者”はきっと僕を意識高い系というクラスタに入れていると思う。
でも、結果が出せていないのだからそういう見方はある意味正しいし、だからこそつらい。抜け出したいと思う。結果が出ずに地道に努力するのは辛い。そう思わないのは本当に努力していない”何者”の主人公のような人だと思う。

学部一年生の頃、やりたいことが沢山あって、ありすぎる事こその悩みがあった。
僕はその時まで人に相談することは無駄なことだと思っていた。自分のことを一番知っているのは自分だし、失礼だけど、どうせ大した事言ってくれる人はいないだろうと。
だけど大学にたまたま講演に来ていた、ある人に思い切って相談してみた。

「あのー、僕は色々作りたいものがあって、雨の日にドローンが傘の代わりになって自動的についてくるものや、他にもこういうのとか」

相談することについて無駄だと思っていた当時の僕はその人と話したいがために、悩みを打ち明けた。
するとその人は、タケコプターみたいで面白いじゃんといったあとに、考える人のポーズをしながら。

「そのやりたいことが本当に好きになれていないんだよ。ただ面白いで終わっているんじゃないのかな」

そのときの一瞬では、その言葉の意味が分からなかった。でも、数ヶ月後くらいに段々と自分のことを振り返ってみると、その指摘は実に的を得ていることがわかった。

話を映画、”何者”でこのことを言っているシーンが偶然にもあった。岡田将生さんが演じる、宮本隆良という意識だけが高いけど何も実現できていない若者に向かって、佐藤健さんが演じる主人公の冷静分析系の拓人は鋭い口調で

「頭の中のものはなんでも傑作なんだよ」

そう言って映画版では部屋を出て行く。
僕はきっとこの宮本高良だったのだと思う。もしかしたら今もそこから抜け出せていないのかもしれない。
そのことを僕に指摘してくれたその人は50歳を過ぎている今でもアプリを作ったり、医療系のことを勉強していたり本当に尊敬しているし、ありがたい言葉だった。

Facebookでこういう投稿をするのも中々勇気が必要で、いいねおじさんをしている方が楽。

ニート時代にWhisponという匿名掲示板で失敗して、意識だけの辛さを知ったので、大学に入るだけ入って今は基礎的なことを勉強していて、大学院に入るためにも地道にやって行かなければいけないと思ってる(意識高い系ですねこれ自体)。

結果が出ない以上は意識高い系と言われても思われても仕方ないので、僕は(俺は、私は)意識高い系ではないという差別化をするのも無意味なマウンティングなので意識高い系といわれ続けながらもやっていくしかないのかなあと思う。

こういう事書くとねらーに意識高いと言われるかもしれないけど、もう僕にはねらーからも誰からも期待されていないので、雑音はないので密かに意識高いことをつぶやきながら愚直にやっていきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください